連合艦隊司令長官の山本のバッドな指揮

書店を回るといつもミリタリーエリアに行きます。

いつも目に飛び込んでくるキーワードの1つが「名将山本」です。

でも、彼は本当に名将だったのでしょうか?

今日はちょっと真面目に、そんな山本を正しく評価したいと思います。

「太平洋戦争で勝つための5つの方法」をまとめています。こちらも御覧ください。

 

英戦艦プリン・オブ・ウェールズに金剛クラスを差し向ける

 

敵より優勢な部隊を編成して送り込むのが司令長官の務めです。

新鋭の英戦艦プリン・オブ・ウェールズに対抗できる日本の戦艦は長門クラスしかありません。

はっきり言うけど、山本司令長官がカッコつけのために乗っている戦艦長門から降りて、戦艦長門と陸奥を差し向けなさいよと言いたいです。
だいたい、金剛クラスの装甲は戦艦レベルじゃないから、英戦艦プリン・オブ・ウェールズに撃たれたら爆沈してもおかしくないです。

実際、英戦隊と日本戦隊は夜戦の直前まで接近してました。
ただ、日本側の現地司令官は戦艦金剛と英戦艦プリン・オブ・ウェールズの差をよく知っているから、悲壮なものでした。

Wikipadia マレー沖海戦

「後の調査で、両軍艦隊は一時プリンス・オブ・ウェールズの主砲射程圏まで接近していたことが明らかになっている」

 

マレー沖海戦は、植民地支配のシンボルであるシンガポールを守護する東洋艦隊を、アジアの日本が撃沈することで、イギリスの植民地支配の終焉をもたらした海戦です。

マレー沖海戦の勝利の意義はとても大きいものです。

もし、両戦艦が日本と遭遇戦を行い、日本側が撃破されていたとしたら、単に作戦が失敗したというレベルでは済まないことになっていました。

 

日本の戦争経済を支える輸送計画を無視

 

太平洋戦争序盤、日本の輸送船は民需分をカットして、攻勢に駆り出しました。攻勢が完了したら民需分に戻し、戦争経済を立て直す前提でした。

真珠湾奇襲完了の南雲艦隊をお迎えする作戦

真珠湾奇襲とマレー沖海戦でこれからの主力は航空機だと言うことを証明したと世の中では言われていますが、山本は戦艦を何隻か真珠湾に着底させて、すっかり勝った気分になっていました。

彼は、長門・陸奥一戦隊をわざわざ出航させ、真珠湾奇襲攻撃を完了した南雲艦隊をお迎えします。

こんあお遊びに使う燃料があったら、別の作戦で使いなさいと言っておきます。

Wikipedia 大和(戦艦)

南雲機動部隊の収容掩護のため豊後水道を南下する戦艦6隻(長門、陸奥、扶桑、山城、日向、伊勢)、空母鳳翔、第三水雷戦隊以下連合艦隊主力艦隊とすれ違う

留守番部隊への日本流の配慮と、自分の権威強化のために戦艦6隻、軽空母、駆逐艦部隊を出撃させる。。

 

インドシナの石油地帯を押さえたにもかかわらず、輸送船が足りずに、日本国内は石油不足、トラック島に集結した部隊は、石油の都合を見ながらの出撃でした。

 

トラック島の大和ホテル

日本にいた山本司令長官と日本の戦艦部隊はトラック島に進出します。

軍令部を始め様々な組織と素早く連携を取らなければならないはずの連合艦隊司令長官が、本国と無線でしかやりとりできない、トラック島の戦艦大和に居るという異常さを正しく認識すべきです。

このトラック島を根拠地として、連合艦隊司令部と戦艦部隊が居るだけでも燃料と大勢の乗組員の補給で、輸送船が必要になります。

しかも、ハワイ島とは違って、トラック島には大量の物資を荷揚げする波止場すらまともになかったようです。

荷揚げの作業は本国とは比較にならないくらい効率が悪かったでしょう。

戦争経済はどうなるの?

 

このトラック島がアメリカから見て絶対取っておかなければならない拠点であり、戦艦部隊がトラック島を死守して戦ったのであば分かります。

でも、肝心の敵が攻めてきた時、現地航空隊・輸送船に警報を出さずに撤退しました。

アメリカの戦艦がトラック島の基地を艦砲射撃してきた時に、日本の戦艦部隊はそこに居ませんでした。

 

硬直したタイムスケジュール

相変わらずアメリカ空母部隊の状況が掴めていない。珊瑚海戦のフィードバックができていない状態にも関わらず、ミッドウェー作戦はタイムスケジュールは変更されませんでした。

参加する艦艇が増えれば増えるほど、スケジュールは変更できなくなります。

各艦艇に燃料を補給する為に油槽船を手配するスケジュールを組むだけで大変な作業です。

その殆どが、役に立たない大和を始めとする後続部隊、アリューシャン列島を空襲した別働隊です。

潜水艦などは、予定の時間までに進出できず監視網の役割を果たしていなかったくらいですから。。

 

輸送船不足でハワイ攻略など無理

ミッドウェー作戦のために出撃した大部隊が消費した油も大問題です。太平洋戦争前半の攻勢のために輸送船を軍需用に徴用した関係で、本土の油は貴重なものとなっていました。

ハワイ島攻略に乗り出したら、日本の戦争経済は破綻します。

 

ミッドウェーの敗戦の責任の取り方

空母4隻を失った時点で、ミッドウェー作戦を強行しようとした連合艦隊司令部と、南雲艦隊の幹部は更迭するのが筋です。

ところが、山本は南雲司令官・草鹿参謀の辞意を受け取りません。理由簡単です。

彼らが辞めると自分も辞めなければならないから。

その一方で、南雲艦隊の戦術を指導していた源田参謀は更迭します。

司令長官の仕事は、敵よりも優勢な状態で味方を戦場に送り出すことです。

ミッドウェー作戦の先鋒たる南雲艦隊は、戦力の半分はミッドウェー島攻撃、残り半分を警戒にとっておくことを強いられます。

アメリカ軍の空襲、ミッドウェー島空爆から帰って来た航空隊の受け入れ、待機部隊の爆装切り替えで大混乱に陥り、残り半分は戦力として機能しないまま壊滅しました。

結果を振り返ると、山本がアメリカ空母3隻に対抗する為に送り込んだ空母は1隻(飛龍)と見ることができます。

間違いなくミッドウェー敗戦の全責任は山本にあります。

 

最終的な責任の取り方

「数年は暴れてみせる」と豪語して始めた太平洋戦争。

ガダルカナル島から始まった消耗戦は、だんだん後退してラバウルに迫ってきます。

なんとか押し返そうと、空母部隊の戦闘機パイロットまで投入しますが、すぐ消耗してしまいます。

山本には戦争は負けたと、敗戦の手続きを始める責任があります。

ところが、彼は死に場所を求めて、前線の航空基地を視察して周ります。

日本の組織の悪い点もフル稼働し、司令長官の視察スケジュールも配信されます。

彼を乗せた一式陸攻の部隊は待ち伏せに遭い撃墜されます。

墜落した飛行機を後から探し出すと、彼は実は墜落で死んでおらず、自決したものと言われています。

 

彼は敗戦を転がり落ちる日本を捨てて、名将と称えられる道を選びました。それも部下を無駄死にさせて。

 

そんな彼を、日本のメディアは今でも「名将山本」と呼びます。

本当に「いい加減にしてください」

 

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